36 追跡

沖取締遠見番 フェートン号に接触 朝の一報の後、真っ先に外海に出たのは吉川次郎平と児島唯助の2人が乗る沖取締遠見番の船であった。「崎陽日録」によれば彼らはこの頃佐賀領鷹島(今の高島)のあたりまで足を伸ばしていた。長崎港口から10km、伊王島香焼島からさらに4kmの地点である。ストックデールが書いたフェートン号の日誌によれば午後は「Fresh Breeze and clear weather」、天快晴で疾風(風力8mから10.7m)、吹流しが真横になり海上では白波が現れ、しぶきが生じている。うねりも大きかった筈だ。そのうち隠密方盗賊方の船も合流して遠見をしていたら(ここの「隠密方盗賊方の船も合流」と言う描写は筆者の丹治擧直の勘違いの可能性がある。次章の[隠密方吉岡、沖取締遠見番を督促]を参照)、南7里から8里の距離に帆影が見えた。野母半島先端から戻って伊王島を目指すフェートン号である。以下、「崎陽日録」によれば、それを目指して沖取締遠見番の船の水主たちが懸命に櫓を漕ぐが戌亥の風(北西風)が激しく異国船には追い風こちらには向かい風で一向に前に進まない。
『伊王島から2里3里のあたりでようやく異国船に接近できたがさらに風強くなり波も高くて近寄れない。そのうちに異国船が方角を変え風を横から受けることになった時風下の波が弱くなりこれを利して船にようやく寄れたが紅毛船(オランダ船)のようだが旗印もなく疑わしい。まず向こうから(規定通りに)書簡を出させようと色々と手真似をしてみたが出さないので怪しく思い、まずはこのことを急報(注進)しようとするが小舟なのでこの船を離れれば向こうは大船で順風を受けて走ればとても追い付かないので、注進は延期して心ならずもかの船に引かれて行くと伊王島から1里の沖で赤白青の大旗を掲げた。これを見て阿蘭陀船に間違い無しと出島のオランダ人から預かった横文字書簡を差し出しこの横文字に書き入れて戻す仕来り(しきたり)なので待つがいつまでも無いので度々催促すると返事を書くと手真似で答えるが何の動きもないのでさっきの横文字を返せと厳しく言うとその後は誰も出てこない。甚だ不審ながら船を離れると追いつくことは出来ないので注進も遅れることになるのだが仕方なくこの船にひかれ佐賀領の神の島その後四郎が島の沖まで来ると、伊王島に沖出の船々遠見していたがあまりにも返書が遅く不審だと隠密方の吉岡十左衛門が乗り出して遠見番の船に乗り付け、どう言う次第で返書が遅いのかと遠見番に聞けば上記のことを言うので一同船に同行してゆくと隠密方船が乗り付けた時に遠見番の船へ舳先が衝突し両船混乱して異国船に遅れを取った。順風が強く、かの船には少し遅れて進んだ』

この沖取締遠見番の生々しい状況描写は「崎陽日録」だけが収録しており、「通航一覧」には取り上げられていない。「崎陽日録」作者である丹治擧直の独自取材のようだ。沖取締遠見番は伊王島からさらに何里もの沖へ出て行くこと、隠密方は長崎港口の四郎が島あたりで遠見検分していることがわかる。またオランダ船よりも大きいフリゲート艦相手に悪戦苦闘する様子も詳細である。フェートン号の舷側は高く遠見番の船からは甲板の様子も見えないまま、波高い沖合で巨艦に翻弄されながら必死で食らいついていったようだ。当初、フェートン号は国旗を掲揚しないまま長崎港に接近した事実もわかる。また沖取締遠見番の役目として、真っ先に異国船に接触して出島のオランダ人から預かった横文字(オランダ語)書簡を手渡し、署名なり何らかの返事を貰うしきたり(プロトコル)なのも明らかにしている。

この沖取締遠見番の船が接近したことをフェートン号はどう見ていたか?日誌には記述はないが、ストックデールが書いた特別手記にわずかにこのことらしい記事がある。

『本艦が港(その入口は、非常な苦心。末見付かった)に近づいた時に、一隻の小舟が通り過ぎたが、挙動や手附きから推察して、我々が何であり、また誰であるかを知りたがっているようであった。然し乍ら、此点では、彼等の好奇心を満足させることに思い及ばなかった。それで、小舟を遣り過したまま 港内へ入ってしまった』というのだ。考えるに、沖取締遠見番は地役人であるが、この時どのような衣装であったか?職務柄、実用的な装いであったのか、ストックデール達フェートン号艦上の幹部はこれを来航船を出迎える任務を帯びた役人(Official)とは見ず、外国船に興味を持った漁師にしか見えなかったのだろう。ペリュー艦長等には長崎港口とオランダ船発見に注意が払われていたと思われる。書簡を受け取ったのが誰なのか、それがきちんと士官に提出されたのかは不明である。入国を禁じられた日本に船籍を偽装して入港する直前の艦上の緊張はかなりのものがあったろう。漁師風情?が差し出す文書など取るに足りないことと見捨てられたのかもしれない。

『伊王島から1里の沖で赤白青の大旗を掲げた』という事実も重要である。この時点でフェートン号は目前の島が伊王島であることを確信したのであろう。