関傳之允の情けない逃げ口上にもはや佐賀藩の戦闘態勢は無理と諦めた図書頭は二人のオランダ人を取り戻すためには彼らの希望の品々を差しいれるしかない、と決めた。
沖に出て異国船を監視いている検使達に山田吉左衛門を派遣して「牛野牛を届けるので紅毛人2人を受け取って帰れ 肥前の軍勢が揃わず焼き打ちの手段も整わない上に御番所も手薄のため紅毛人2人を受け取ったら直ちに異国船が出帆するともそのまま出帆させておくこと 下手にこちらから手出しをして異国船が引き返し港内に侵入したりしては御番所は立ち向かうことができないのでそのまま出帆させる」と伝えさせた(崎陽日録29p)。
そこへ大通詞の中山作三郎と名村多吉郎がオランダ商館長(かぴたん)のドゥーフより申し出があると願い出た。
その申し出とは、異国船(フェートン号)が求める品々を届けるのに、ホウセマンも一緒に遣わせたいと言うのである。この申し出に「図書頭は眉をひそめた」とある(Doef:Recollection of Japan日本回想記英語版101P)。それは当然だろう。図書頭にとって異国船は無法な侵略者でありそれを仕切る艦長は「得体の知れない人物」である。図書頭には、せっかく取り戻したオランダ人を派遣することによって、ムザムザとまた拉致されてしまうのではないかと言う当然の懸念があった。
「ホウセマンが再び異国船へ行く事はいかがなものか 再び留置されることもあるかもしれないので品々を届けることだけ済ませろ」と命じた。図書頭は『「今や少なくとも1人のオランダ人を裏切り者の敵の手から取り戻し、あとは1人だけ気にかければよい」と考えたからだ。』とドゥーフは回想記101Pで推測している。
だがホウセマンを派遣すれば拉致されたオランダ人がまた二人になるという懸念が図書頭にはあった。
一方で、ドゥーフには違う感覚があったろう。すでにホウセマンは一度異国船から戻ってきて、異国船の様子とそれが軍艦であること、艦長が若い士官であることなどをドゥーフに報告している。そこからドゥーフには、ある種の異国船の艦長に対する信頼感と言うと言い過ぎだが、なんらかの「得体の知れた人物」と言う感覚があったのではないだろうか。
オランダと英国とはわずかにドーバー海峡を隔てるだけの距離の近さに加え、これまでに歴史的に非常に緊密な関係があり、現に今、ナポレオンに制圧されたオランダの国王はイギリスに亡命している。
それだけに、ドゥーフは異国船が正規の英国軍艦であること、私掠船(パイレーツ)ではないことから、ちゃんとした取引ができる相手と言う確信が生まれ始めていたのであろう。
さらにまたドゥーフは英国艦の若き艦長の振る舞いについてホウセマンから報告を聞き、ホウセマンが返らなければシキンムルを殺す、と言った言葉は単なる脅しでは無く実際に実行するだろうという確信があった。ナポレオン戦争に従軍している戦闘艦であり、叛乱水兵がいれば即座に絞首刑にすることをなんらタメらわないのが艦長の習いである事はドゥーフがよく知っていたはずだ。
ここで彼はホウセマンを再度英国艦に派遣するためにいかにもオランダを代表する東印度会社(既に法的には解散しているのだが。ここに採用された人間たちは、オランダ商人としての規範を徹底されたに違いない)の優秀な社員としての論理または理屈を展開する。
「私の手紙(「48章ドゥーフの手紙」を参照。ペリュー館長に食料の補給と引き換えにオランダ人解放を願い出た手紙)にはコンパニャ(東印度会社)の印を以て補給の実行を約束しました。これは会社の契約ですから違約するわけにはまいりません。
その上この品々をホウセマンが付き添って届けてくれればシキンムルも一緒に返すと船主が固く約束しましたので、ホウセマンが行かないと違約となりシキンムルの身の安全にも関わることもありえますとホウセマンが言っています」と述べて、さらに続けた。
「たとえホウセマン が再び行っても留置される事は決してないと思います。船主が願い出た品々を願いの数を揃えて送れば異国人どもは感激いたしかたじけなく両人とも返すと存じます」。
ドゥーフは回想記(英語版101P)で、『ホウセマンが自分の言葉を守るために、どうしても戻らなければならないことを奉行に理解させるのに、私のすべての説得力を要した。』と記している。図書頭がホウセマンを送り返すことに強く反対していたことがこれでわかる。だが最終的に彼は「カピタンの言う事は理屈が通っている。そのようにせよ」と受け入れた。何度も繰り返しになるが、図書頭はこういう極限状況にありながら事の理非をきちんと判断できる人物であったことがここでも証明されている。
この品々はオランダ人二人を解放させるための重大な物資である。それだけに行き違いや事故が無いように(港内には検使達や見張りの番船が多く出動している。彼らは沖へ出っぱなしの者も多いから事情が分かっていない)沖出方の船への連絡文書を上條徳右衛門と中村継次郎とで作り、持たせた(通航一覧(用部屋日記)427p。
こうした経緯を経てホウセマンは用意されていた牛4頭野牛(なぜか通航一覧や崎陽日録の日本側史料は全て野牛と称しているが、ドゥーフの商館日記には山羊とある。これが正しい筈である。また通航一覧425pにはこれらの牛はかぴたんが差し出したもので豚も送った、とある。)11頭その他野菜などを満載した船とともに異国船へ向かった。これも勇気ある行動と言える。異国船はその日の朝白刃を振って彼等を拉致したばかりである。そこへ仲間のために再び戻ると言うのは思うほど簡単ではない。フェートン号から発した小艇3艘が港内を遊弋し始めた時の奉行所内の混乱と数々の怯懦が人間の本質だろう。ホウセマンには自分が異国船へ戻らないとシキンムルが殺されると言う恐れがあったからであるが、その背景には母国を遠く離れて数少ない同国人と出島と言う閉鎖された小さな牢獄のような環境で身を寄せ合って暮らす人間たちの深い絆があったればこそ、ではなかろうか。
補給品を満載した船々を引き連れて大波止を出たホウセマンは、沖へ出ている検使達の船佳行丸と出会った。17時ごろである
崎陽日録30pによると『佳行丸においては酉上刻ごろ(17時)右の品々を持ってホウセマンその他が付き添い来たので検使一同集まり図書頭が命じた趣旨について評議の上ホウセマンが来ても留置せずシキンムル一同(と一緒に)を返すのかホウセマン にもう一度確認したところ固く約束したので間違いありませんと言う答えで少しでも早く行ったほうがいいと言うので通詞石橋助左衛門(岩瀬)弥十郎が付き添い御役所付き溝口仙兵衛林與次右衛門がついて出船する 検使の菅谷保次郎花井常蔵は別船に乗り移り沖へ行く』とある。
沖にいる検使達は図書頭とドゥーフの会話を知らない。だから、ホウセマンが異国船へ行って留置されないか、シキンムルを返すのかと頻りに確認したという事になる。
結局ホウセマンには大通詞石橋助左衛門と岩瀬弥十郎が通詞として付き添い、御役所付き(町役人)溝口仙兵衛と林與次右衛門が護衛としてついた。これに加えて沖に出っぱなしでいた検使の菅谷保次郎(手附出役。フェートン号にオランダ人を拉致された際に無抵抗で図書頭に激しく叱責された幕府から出向の与力)と花井常蔵(同じく幕府から出向の手附出役の与力)は健行丸から他の船に乗り換えて、ホウセマンの船の群れに加わった。
崎陽日録31pに記述によれば、
『ホウセマンが異国船の近くに漕ぎ寄り下から声をかけると、異国船からもシキンムルが答えた。「牛野牛その他食用の品々を持ってきたので端船を出して受け取るように船主へ伝えよ」とホウセマンが声高に言えば船主も船縁に出てきた様子で「夜中なので端船(積載小艇)に積み替えるのは難しいので本船に直に漕ぎ寄せろ」とシキンムルが言うので、ホウセマンが助左衛門に言うには 「いずれ(私も)本船に乗るのが良いでしょう今一度乗船してシキンムルと一緒に降りてきます」と言うので助左衛門「然らば乗船しなるたけ急いで2人とも一緒に降りて来い」と言ってまず牛野牛など積み込んだ荷船を異国船に漕ぎ着けた。ホウセマンは乗船しカピタンからの返書を船主へ渡した』とある。
海上でフェートン号の小艇に積み替える作業は夜なので困難だから、品々を積んだ船をフェートン号に直接横付けせよ(クレーンなどで引き上げるのだろう)、カピタンからの返書を預かっているホウセマンは乗船せよ、とフリートウッド・ペリュー艦長が命じたのだ。
石橋助左衛門は直ぐに降りて来るんだぞ、と念を押してホウセマンを乗船させた。
船上でホウセマンはドゥーフの手紙をフリートウッド・ペリュー艦長に渡した。その内容は、
『昨日本船に連行されたオランダ人のうち1人を上陸させられ食用の品々を届けるようお願いされたことにつき牛野牛12匹その他品々を差し入れいたしました またお申し越しの通りホウセマン右品々に付き添えて派遣しますので品々を船積みの上はお約束通りオランダ人2人ともお戻しください この段あなたにお答えいたします』
程なく異国船から「持ってきた品々の数を教えよ」と聞いてきたので、通詞の岩瀬弥十郎が「牛4匹野牛12匹鶏十羽梨1袋持ってきた」と答えた。
今度はさっき乗船したばかりのホウセマンが船縁に現れ、石橋助左衛門に「水と薪はいつ届くのか、と聞いております」と尋ねた。
「水や薪は今揃えている最中であるから、今晩中には手配できない。明朝届けることになる」と助左衛門が答えると、ホウセマンはいったん船縁を離れ、再び姿を表して言うには「船長(艦長)によるとそれならば私ども返すのは、明日朝その品々を受け取ってからと申されております」と言うのである。
これを聞いて、石橋助左衛門は引き下がらなかった。
「水薪は明日早朝届ける約束はいささかも相違なく牛野牛その他食用の品々を積載した以上は約束通り二人のオランダ人を返すよう船主に言うべし(崎陽日録原文のまま)」とホウセマンを押し返した。この時助左衛門51歳、よくぞ正論を言ったと褒めるべきだろう。
するとホウセマンは艦長にその事を伝えたのだろう、「明日の朝届ける水と薪は何艘来るのか、と聞いてます」と返事した。
「先ほど申した通り水は5艘準備している。薪は何艘必要か?」と答えると
「薪は2艘お願いしたい」との返事が返ってきた。
石橋助左衛門と岩瀬弥十郎の2人が声を合わせて、何度も「明日の朝、間違いなく届ける」と約束した。
ここから事態が転換する。